令和7年度 第2学期始業式 校長の話し
皆さんおはようございます。新学期となりました。昨日までの夏休みは、どう過ごしましたか? 部活動に文化祭の準備にと、忙しく過ごした人は多かったかと思います。三年生は、大学受験の勉強の方は捗りましたか? 有意義な時間を過ごせたでしょうか? また、家族で旅行に行った人もいたと思います。私もあちこち行ってきました。伊豆半島の海や、北軽井沢の涼しい高原などで過ごした日がありました。そこでつくづく実感したのが外国からの観光客の多さです。
ここ数年、オーバーツーリズムがよくメディアで報道されていますが、それを実際に現場で目の当たりにしてびっくりです。私が訪れた田舎の方でさえ、外国人観光客のすごい数なのだから、さぞや京都や浅草なんかはすごいことになってるんだろうなぁと思いました。このことは、今、日本のアニメや音楽、食文化や史跡、自然の美しさ、治安の良さなんかが世界で認知されて、魅力ある海外の旅行先としてブームになっていることに加え、これに円安による割安感によって海外からの観光客が大量に押し寄せているのだと思います。世界の人々が日本に魅力を感じ、好きになってくれることは望ましいし、いつまでも平和であって欲しいなぁと思ったりしますが、一方で、それでも心配に思うこともあります。
というのも、今年は昭和で数えると昭和100年に当たり、また、我が国が経験した先の大きな戦争が終わってから80年の節目の年でもあります。この夏休み期間中は、テレビやラジオなどで先の戦争に関する特集が多く組まれて目にすることもあったと思います。スタジオジブリ映画の「火垂るの墓」が民放地上波で放映されてもいました。見るたびに心が引き裂かれるような悲しい物語です。原作は野坂昭如さんの同名の小説で、「アメリカひじき」という短編小説と合わせ1968年に出版されました。文章が点で区切って延々と続き、何ページにもわたったりする文体で、読みにくくてやっかいな文だと感じたのを記憶しています。1965年生まれの私は、小学生の高学年だった頃、たまたま家にあったその本を少し背伸びして読んでみて、強烈に悲しい気持ちになったのを今も憶えています。当時大人の本は無闇に読むものではないなと感じたものでした。
私が生まれた1965年は、戦後20年で、私が育った池袋駅周辺では、まだ駅前の雑踏の片隅で、戦争で負傷した傷痍軍人さんがハーモニカを吹いたりして、駅を行き交う人々からお金をもらっている様子を見たりしたことがありました。傷痍軍人さんというのは戦争で負傷して体が不自由になってしまった人のことをいいます。当時は何をしているんだとろうと、不思議に感じていましたが、幼稚園に入るか入らないかの当時の私には、到底理解できることではありませんでした。今にして思えば、当時はまだ戦争の傷跡がリアルに残っていたわけです。また、私が小学生の頃は、家の近所に戦争中に爆撃機に乗って戦ったという社長さんがいたりして、飛行機で敵艦に爆撃する時の様子などを聞いたりしました。幼かった私は、興奮してその勇ましさに聞き入ったものでした。中学校の時の担任の先生が、実は元特攻隊員で、出撃前に終戦を迎えたという話もありました。厳しくも何か温かみのある先生でした。私の父は終戦の年に小学校の三年生で、千葉県に疎開していたそうです。東京大空襲の夜に、東京方面の空が真っ赤になっていたのを見たという話を聞きました。父が見たその赤い夜空の下で、10万人の方々が亡くなっているのだと、このことを思い出すたびに胸が苦しくなります。終戦のとき、6歳だった母は、空襲警報が止んでいないのに大人の目を盗んで防空壕から勝手に出て、空を飛ぶB29爆撃機を見たそうです。それに載っているアメリカ兵搭乗員の姿が、機体の風防越しに見えたそうです。私の世代には、祖父母や両親をはじめ、戦争を経験した人が、周辺にまだたくさんいました。幼いころ関東大震災を経験し、2.26事件の時は買い物から帰れなくなったり、東京大空襲からなんとか逃れた祖母は、20年前に亡くなりましたが、その祖母からも戦争中の話をよく聞いたものでした。何か私に辛いことがあった時、「生きてるだけで丸儲けだよ。」なんて言われてしまうと、祖母に比べりゃそりゃそだなぁと思ったものでした。
戦争を経験した私の周辺の人は、誰一人として戦争が良いものと語る人はいませんでしたし、戦地で相当に辛いご経験をされたのか、何も語らない人もいました。多くの方々が、口に出したくもないような辛いご経験をされているのだと思います。しかし、戦後80年となって、そうした戦争を経験した人々が、その実相を語ってくれる人が、年々少なくなってきています。戦争にだけは巻き込まれたくない。と、私は経験された方々からの話から感じています。でも悲しいかな、今現在、世界のあちこちで戦争があります。ウクライナやパレスチナ、その他の地においてもです。私たち人類はなんと愚かな生き物なのでしょうか? こんなことを何千年も繰り返してきています。いい加減に学習して、同じ過ちを繰り返すことのないようにしたいものです。
こうした国際紛争を解決する手段として戦争は絶対に使ってはならないと私は思います。大切な人を失ったり、耐え難い心の傷を負ったりなど、膨大な不幸の連鎖が広がるだけだと思うからです。では、国際紛争を解決する手段としてのもう一つの方法は何か。それは話し合いによる解決です。これを外交と言います。それでは、話し合いで解決するために私たちにはどんな能力が必要でしょうか。私は、一つに相手を納得させるだけの論理的な思考と、もう一つに相手を感動させる表現力が必要であると考えます。きちんと道筋を立てて解決に向け、科学的にわかりやすく説明する力と、ああそうそう、そうだよね〜と、共感してもらえるための表現力です。反目する相手に未来を一緒につくっていきたいね。と思わせ、考えさせ、感じさせる論理性と表現力です。それに加え、日本という国の文化的な魅力も重要と思います。日本という国がこの世界から無くなってしまったら寂しいなぁと、世界中の人々が感じるような魅力持っておくこと。それが大事なんじゃないかなと考えます。もし、例えばこの世界からイタリアって国がなくなっちゃったら、とか、フランスがなくなってしまったらとか想像すると、なんか寂しくは感じませんか? 文化の魅力って大きいと思います。そうした文化的な魅力を創造するには、光陵生の力の発揮どころであり、皆さんに寄せる期待は大きいものがあります。そのための学習をここで積んでいるし、40年にわたって君たちの先輩たちがそれを担って世に出ています。きっと皆さんこそが、日本はもとより、平和な世界をつくってくれる、それをやってくれると信じています。
本校は今年、創立40周年の節目の年を迎えました。今年は、昭和100年であり、戦後80年であり、私ごとですが今年還暦を迎え、40、60、80、100年と数字が偶然に揃ったことと、戦争を実際に経験してはいないけど、経験された方々から直接聞いた私の世代が、次の世代に語り継いでいかなければならないという使命感からか、こんな話を皆さんに伝えておきたいと思いました。二年生の皆さんは、今学期、修学旅行で広島方面に行きます。大いに楽しんできてほしいと思います。が、今日、ここで私が話したことも広島で少し思いだしてくれたらと思います。
長くなりました。私の話しは以上です。