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令和6年度 第三学期始業式 校長の話

 皆さん、明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。今日から三学期となりました。皆さん、冬休みはどうでしたか。三年生は大学入試に向けて、受験勉強は捗っていますか。一二年生は、家庭学習や部活動など、充実した時間を送れましたか。三年生は、いよいよ共通テストも目前となりましたが、今月末から家庭研修が始まります。クラスの皆んなと過ごせる高校生活は後僅かです。一日一日を大切にして、悔いのないように楽しく過ごしてくれたらと思います。 

 さて、皆さんは、今年をどんな年にしたいと思っていますか。今年の目標は立てましたか。私は、美術の彫刻が専門だった教員として、せっかく光陵の校長になったのだから、彫刻という芸術の表現とは何かについて、皆んなに広く理解を深めてもらおうという目標を持ちました。 

 去年の9月の文化祭で、美術科の展示スペースに私の拙い作品を展示させていただきました。人物をモチーフとした昔に造った彫刻作品でした。そこで、そもそも彫刻ってなんだ? なんで人物をモデルにして、しかもヌードを造ったりするんだろうと、皆さんは不思議に思いませんか。これについて説明するには、まずは芸術とはそもそも何なのかについて、お話しする必要があります。今日はそこから話したいと思います。 

 彫刻っていうのは視覚芸術の一ジャンルで、お仲間に日本画や油絵、工芸、デザイン、映像表現など、美術と呼ばれる芸術の中の一つです。

 では、その芸術とは何か。芸術には美術の他、音楽や書道、文学や演劇など様々あます。また、私は映画やクラシックバレーも含まれるんじゃないかと思うし、ともすると、フィギュアスケートやスノーボードのハーフパイプなんかも芸術として見ています。それはなぜかというと、見る者に感動を与えてくれるからです。新しい技や、表現されたパフォーマンスによって元気づけてくれるし、次の可能性に期待を持たせてくれて、生きることに励みを与えてくれるからです。

 そうした人に感動を与える表現のことを芸術と呼んでいて、表現であるから人と人の間にある「ある種、意味を伝える言語」ともいえると思います。しかもそれは、今までに存在しなかった意味や価値を解き明かし、新たに創り出す、これまでになかったことを生み出す、提案するという重要な役割を担っています。わかりやすくいうとこうです。

 もし、この世界にまだ「優しさ」という言葉とその概念がなかったとしましょう。そこで誰かが母親が我が子の頭を撫でながら微笑んでいる表情をした絵を描いて、「優しさ」という題名を付けて発表したとします。それを見た多くの人々が、「優しい」っていうことは、こういうことなんだと感動を持って意味を掴み取り、他者と共有できたとき、その描かれた絵は芸術作品となります。その絵を描いた誰かは、この世に「優しさ」という意味を切り拓いた芸術家となるわけです。

  音楽は音を使って、文学は言葉を使って、美術は形と色を使って意味を創造し他者に伝えます。そう思うと、サッカーや野球の競技さえもそうだと思えてきます。なぜなら、ゲームという身体表現によって人に感動を与えてくれて、生きるための何かを示してくれるからです。一方、科学はどうでしょう。数学や物理は数式を使って新しい意味を示してくれます。e=mc2という表現があるようにです。アインシュタインはニュートン力学を超える新たな意味世界を一般相対性理論という新たな概念を数式で示してくれました。芸術も科学も体育も、実は仕方、方法が違うだけであって、目的は同じなんだ。と、私はそう理解しています。そうなると、料理なんかも、美しく盛られ、美味しさを味わったとき、それはもはや芸術ではないか。そのように感じられてきます。

  私は芸術の中のとりわけ彫刻という表現方法を選んで、学んできましたが、人文科学も、自然科学も、体育、料理、そして、芸術は、新しい意味や価値を生み出し、これまでにない生き方の提案をしてくれます。そうした意味から、全て方法が違うだけで目的は同じだと思います。皆さんも自分の選んだ道に向き合い、突き詰めてくれたらと思います。

 このことを踏まえて、次回は芸術の中の美術の彫刻という表現とは何かについてお話ししたいと思います。今日は寒いのでここまでとします。