校長ブログ
入学式が無事に終わりました
4月8日(水)
第41回入学式が
行われました
新入生も無事に入学し
明日から学校も
本格的なスタートです
学校の桜が満開になりました
4月3日(金)
学校の桜が満開になりました
週末は雨予報で
始業式・入学式前に
散り始めてしまうと思いますので
ブログにてお届けします
校長が交代しました
生徒の皆さん
4月8日にお会いしましょう
退職のご挨拶
早春の候、皆様におかれましてはご健勝のこととお慶び申し上げます。
さて、令和7年度末をもちまして役職定年を機に、私こと校長矼秀年は退職することといたしました。在職中は、多くの皆様からのご支援とご協力を賜り、深く感謝申し上げます。
また、生徒の皆さん、たくさんの楽しい思い出をありがとうございました。大宮光陵高校のことは、教員時代のことも、校長として勤務した2年間のことも、けっして忘れることはありません。人生で一番充実した時間を過ごさせていただきました。
大宮光陵高校での思い出を胸に、新たなことにも挑戦しながらセカンドライフを楽しく過ごしていきたいと存じます。
皆様のご多幸と生徒の健やかな成長をお祈り申し上げ、退職のご挨拶とさせていただきます。
令和8年3月31日
埼玉県立大宮光陵高等学校長 矼 秀年
令和7年度 修了式 校長の話し
※この講話はスライドを使って話しています。スライドは非公開です。
皆さんおはようございます。今年度の修了式を迎え、最後の日となりました。今日は、ここにある通り、心について話してみたいと思います。というのも、私は校長であると同時に美術の表現者、彫刻作品を創る者として、あまり意識はしてかなかったんですが、これまで「生命」をテーマに作品を作ってきたような気がします。いろいろ思う所があって、これからは「心」をテーマに作品を創ってみようかと思っています。そこで、そもそも「心」とはなにかについて、考えてみたいと思います。私なりに「心」とは何か、その輪郭が少しでも描けたらと思います。このことが、来年度の皆さんの学びに何らかの役に立ったらと思います。
さて、「心の強い人」であるとか「心ない人」、「心変わり」など、私たちはしばしば「心」という言葉を使い、気持ちや考えを他者に表現しています。先日、WBCで今年はベネズエラが優勝しました。日本は残念でした。昨年メジャーリーグの殿堂入りを果たしたイチローさんが、今からもう17年前の皆さんが生まれるか生まれる前の話、2009年のWBCで、「心が折れそうになった。」という発言は、当時けっこう話題になりました。打撃不振が続いたイチロー選手が勝利後に吐露した言葉でした。
そこで、そもそも、その人の「心」とはどこにあるのでしょうか。小学生に聞いてみると胸を指したりします。中学生ぐらいになると、それは頭の中と答えるかもしれません。大人に聞くと、まともに相手にしてくれないか、「脳内現象じゃないの。」などと答えてくれたりします。生真面目な人は、どこにもないと答えるでしょう。
「心」とは何か。これについてしっかりとその意味を捉えていないまま、私たちは「心」という言葉を使い、あいまいな意味を共有しています。以前、ソシュールの言葉に関するシニフィエとシニフィアンの関係についてお話しましたが、「心」という言葉は記号であって、その意味内容は人間がつくったもので、実態を掴みにくく、不確かな存在です。とはいえ、「心」という言語的事実はあります。
そこで、「心」とは何か。これを探す手掛かりとして、大辞林という辞書で調べてみました。すると、「①人間の体の中にあって,広く精神活動をつかさどるもとになると考えられるもの。②なになに、③なになにとか書いてありましたが、と、言葉の用法としてはこうなっていて、私たちはこのルールで「心」という言葉を使っています。
ですがここで、「心」は「①人間の体の中にあって,」とはっきりと明記されていますが、本当にそうなのでしょうか。辞書は必ずしも真実が記述されているわけではありません。
安藤ロイドとか石黒イドというジェミノイドで有名な大阪大学大学院の石黒教授は、「心」について、次のように語っています。「いくら『心』の存在が曖昧なものだと言っても、ほとんどの人が自分は『心を持っています。』と自信満々に言う。しかし、『それを見てください。』『それが何か説明してください』と言うと、全くできない。」さらに「私がアンドロイド(人に酷似した人間型ロボット)でさえも人間と同じように『心を持っている』と主張することと、それが人間の『心を持っている』という主張と、ほとんど変わらないことを説明しても納得しない。」つまり、自分には「心」があると、人は直感的にこたえるけど、それは、アンドロイドに「心」があるという論理と、変わらないんだけどね。ってことです。
石黒教授が製作する「ジェミノイド(複製アンドロイド)」は、そこに本人がいなくても、対峙する人間が「そこに心がある」と感じれば、関係性の中に「心」が発生することを証明しています。
石黒教授自身とそっくりな外見を持つアンドロイド「ジェミノイド」を用いた実験では、以下の現象が確認されています。どんな実験をしたのか?まず、存在感の認識。 ジェミノイドを介して会話をする相手は、次第にロボットを単なる機械ではなく、遠隔操作している「石黒教授本人」として扱い始め、存在感を認識します。左の画像の左が石黒教授で、右が石黒教授とそっくりなジェミノイドです。右の画像の手前が被験者で、ジェミノイドと向き合ってコミュニケーションしています。ジェミノイドの後ろの黒い衝立の向こうに、石黒教授がジェミノイドを操作しています。続いて身体感覚の共有が起きます。実は、操作者側も、アンドロイドの肩を叩かれると自分の肩を叩かれたように感じるなど、機械の身体に自分の「心」や「存在」が移ったかのような感覚を抱き、身体感覚の共有が現れます。これにより、心や存在感とは物理的な肉体に固執するものではなく、相手との情報のやり取り(関係性)によって立ち上がるものであることが示唆されます。つまり、石黒教授は人間と酷似したアンドロイドを用いた研究を通じて、「心」が個体の中に実体として存在するのではなく、「人間との関係性(インタラクション)の中に生じる主観的な現象である」ことを実証的に示したわけです。
心は人と人のあいだにある。ってことです。
次に、精神病理学者 木村 敏さんが「音楽」を題材に演奏者と鑑賞者の関係性の視点から、フッサールの言説を持ちいて説いています。
木村敏さんがどんな言説を使ったかというと、現象学という学問領域を切り開いたフッサールさんの心のはたらきについて示した「ノエマ」と「ノエシス」という考え方です。「ノエマ」は意識の内容を指し、ノエシスは意識のはたらきを指します。見え方や意味がノエマで、心の作用がノエシスとなります。ちょっとこれじゃわかりにくいね。そこで、分かりやすく、フッサールの言う心のはたらきを「定期テスト」に例えるとこの通りとなります。右のノエシスは、「うわ~、嫌だなぁ」 と、思う心の動きで、左のノエマは、心の中に浮かんでいる「嫌なものとしてのテスト」こうした考え方を使って、木村敏先生は、音楽の演奏と鑑賞、演奏者と鑑賞者の関係性からノエマとノエシスによってこう考えました。
音楽で考えてみると、ノエマ的把握(モノ的)は、音楽を、すでに完成された「作品」や「音の情報」として、外側から眺めるように受け取ること。ノエシス的合致(コト的)は、音楽が「私」に鳴り響き、同時に「私」が音楽そのものになってしまうような、主客の区別が消えた生成のプロセスであると。
音楽を例にすると、演奏者は、曲全体を把握しつつ、今まさに響を生む行為と、次に奏でる音を感じている。一瞬一瞬に。一方、鑑賞者も、曲全体を把握しつつ、今まさに生まれる響きを聴き、次に奏でる音を感じている。それを一瞬一瞬に。しかもこの広い会場でです。どういうことかというと、演奏者と鑑賞者(聞き手)が同じリズムや命の拍動を共有する「ライブ(生)」な事態にあるのがオーケストラという音楽の場なわけです。
そこではどんなありようがあるかというと、演奏者は、「次はこんな音を届けたい!」と心をこめて弾きます。(ノエシス的)な作用があって、鑑賞者には、「わあ、きれいな音だな」と心をすませて聴きます。といった(ノエシス的)作用があるわけです。この時、「弾く人の心」と「聴く人の心」が、目に見えない空気の中でぴったり重なる瞬間があります。これが「あいだ」です。つまり、演奏者と鑑賞者は、別々に存在しているのではなく、ノエシス的な音楽という一つの命を、その場の「あいだ」で一緒に生きているというわけです。木村先生は、音楽の本当の姿は、楽譜の中(ノエマ)にあるのではなく、「弾こうとする力」 と 「聴こうとする力」 が混ざり合った「あいだ」に生まれると考えました。
以上の考察をまとめると、心は「関係の織り成し」であることが見えてきたと思います。石黒教授のアンドロイドの逆説からは、 「私」が「あなた」を心ある存在として認め、その応答によって「私」もまた心ある存在として再構築される。この終わりのない相互作用のプロセスこそが、私たちが「心」と呼んでいるものの正体ではないか。という示唆がありました。木村先生の音楽の考察からの提言では、「心」は個人の頭蓋骨の中に閉じ込められた「実体」ではなく、ノエシスが他者を介して循環し、人間同士が複雑に共鳴し合う境界線「あいだ」に立ち現れる「現象」である。ということが理解できました。 私なりの結論として、こういうことが言えます。心は個人の内側に閉ざされたものではなく、他者との関係性、すなわち『間〈あいだ〉』に立ち現れるものである。
今日は心について考えてみました。皆さんも、この春休みを利用して、疑問や不思議なことをみつけて考えたりしてみてはいかがでしょうか? 新学年に備え、有意義な春休みを過ごしてください。
第38回卒業証書授与式 校長式辞
桜のつぼみが膨らみ、早春の柔らかな風が吹き抜ける季節となりました。厳しい冬を乗り越え、命の輝きが満ち始めるこの佳き日に、学校評議員さいたま市立土屋中学校長 小熊 誠 様、学校評議員同窓会長 横山 寿世理 様、PTA会長 吉海 克枝 様、PTA副会長 新井 春美 様、後援会長 結城 勝美 様、をはじめ、ご来賓並びに保護者の皆様のご臨席を賜り、埼玉県立大宮光陵高等学校第三十八回卒業証書授与式を挙行できますことを、大変うれしく存じます。卒業生はもとより、私ども教職員、在校生にとりましてもこの上ない喜びであり、ご臨席賜りました皆様に厚く御礼申し上げます。
さて、ただ今呼名のありました三百四十名の第三十八期卒業生の皆さん、ご卒業おめでとうございます。本校は、今年度、創立40周年を迎え、その記念すべき節目の年を飾る皆さんのご卒業を、心からお祝い申し上げます。
今日までの学校生活には、楽しかったことや嬉しかったこと、時には辛く、悔しい思いをしたこともあったことでしょう。そうした記憶の一つ一つを、今、皆さんはそれぞれの胸に思い描いて、鮮やかに蘇らせているところではないでしょうか。
振り返ると、皆さんが入学し、五月になると、新型コロナウイルス感染症の位置づけが五類に移行し、活気のある学校生活が始まりました。それからは、学業に、部活動にと、皆さんは目標に向かってひたむきに打ち込むことができたと思います。
特に学校行事の光陵祭や体育祭では、仲間と協力し、大いに盛り上げて、本校の魅力を遺憾なく発揮してくれました。創立40周年を祝う上級生として、後輩をよく牽引し、記念すべき節目の年を、輝かしく、素晴らしいものにしてくれたのは皆さんです。よく頑張ってくれました。本校の新たな伝統の扉を開いてくれた皆さんに感謝しております。
そんな三十八期の皆さんと過ごした思い出は尽きませんが、特に修学旅行の長崎での出来事が、私にとって「教育とは何か」を深く考えさせられる、忘れられない思い出となっています。本来、修学旅行において校長という職責は、引率責任者として全体を俯瞰し、どっしりと構えているべき存在です。しかし、いざ長崎の街へ出れば、特定の役割を持たない私は、ただの「手持ち無沙汰な一人歩きの旅人」に過ぎませんでした。そんな私の寂しげな背中を、皆さんは放ってはおきませんでした。「校長先生、一緒に行きましょう。」と声をかけてくれて、まるでおじいちゃんを散歩に連れ出すかのように、長崎の街を案内してくれたのです。私を迷子にさせることなく、温かく仲間に加えてくれた皆さんの優しさとコミュニケーション能力は、予測不能なこれからの社会を生き抜く上で、何よりの強力な武器になるものと確信しています。また、私はあの時、皆さんが私を「遠い存在」ではなく、一人の人間として、あるいは「手のかかる仲間」として受け入れてくれたことに、細やかな幸せを感じていました。そして、気づかされたのです。教え導く対象だと思っていた皆さんが、いつの間にか、孤独な大人を気遣い、共に歩むことのできる立派な人間へと成長していたことです。あの時、皆さんに看てもらった「校長の面倒」は、私にとって教育者としての大きな誇りであり、最高の思い出となっています。
三十八期生の皆さんは、明日からこの光陵高校を離れ、それぞれの道に進んでいきます。今、世界を見渡すと、あちらこちらで武力や経済による争いが後を絶ちません。このような前時代的なパラダイムに人類が陥る一方で、技術革新は指数関数的なスピードで進んでいます。かつて講話で、ある発明家の予想を引用し、「およそ二十年後の世界」についてお話したことがありました。人工知能、生成AIの能力が、人間の能力を遥かに凌駕し、人間の力ではもはや機械の力には太刀打ちできない、しかも、後戻りのできない変化が起きる「シンギュラリティ」の到来です。遺伝子工学やナノテクノロジーが融合し、人間の身体そのものが進化する「人体2.0」の時代が、ともするとすぐそこまで来ているかもしれません。皆さんはこれから、「予測困難」な時代というより、むしろ「覚悟が必要な時代」を生き抜いていかなければならないと言えるかもしれません。
それでは、これからの若者たちには何が必要なのでしょうか。
先だって、米マッキンゼー社のボブ・スターンフェルズ氏は、人間がAIに勝てるスキルとして、若手が磨くべき「三つの分野」を特定しました。
一つめは、「志(こころざし)を抱く能力」です。志とは、単なる夢ではありません。それは「社会や他者のために」という公的な使命感を伴う、強い信念や意志のことです。人生の指針となり、困難な課題に直面した時に自分を支える柱となります。何を成し遂げたいかという「志」を選択する能力は、AIにはなく、人間にしか備わっていないものです。
二つめは、「判断力」です。ここでいう判断力とは、情報を論理的に分析するだけでなく、価値観や社会規範に照らして「最善の解決策」を下す人間の力を指します。それに対して、AIには正解も不正解もありません。生成AIをどう使い、どのような枠組みで判断させるか。そのグランドデザインを描く力こそが、人間に求められているのです。
三つめは、「真の創造性」です。AIはあくまで推論モデルであり、過去のデータから「次にくる可能性が最も高いステップ」を導き出すことに長けています。これに対して、人間は全く新しいアプローチや、これまでにない概念にたどり着く能力において圧倒的な優位性を持っているとしています。
そして皆さん、この三つに加え、本校で学んだ「自立・協調・創造」の校訓を、一生の宝ものとして携えていってください。
まずは「自立」です。社会は、誰かがお膳立てをしてくれる場所ではありません。自らアンテナを高く張り、自分自身を常にアップデートし続け、しなやかに、自らの足で立つ「自己」を保ち続けてしてください。
次に「協調」です。自分さえ良ければいいという考えを捨て、他者の幸せを自分のこととして感じ取り、多様な人々に敬意を払い、支え合いながら社会に貢献する豊かな人間性を持ち続けてください。
最後の「創造」は、これこそが大宮光陵の魂です。これからの世界は、自動化によって既存の職業が消えていく一方で、新しい仕事が次々と生まれていくことでしょう。皆さんには、これまでにない「生き方のデザイン」を提案し、自らが新しい仕事を生み出す担い手となって、世界で活躍することを期待しています。
皆さんは、この大宮光陵高校の三年間でこれらの素養を十分に磨いてきました。持ち前の優しい心と爽やかさで、しかもたくましく、ゆるぎない意志で、光り輝く未来をきっと創造してくれるものと、私は信じています。そして、三十八期生の皆さん一人一人が、自らの力で人生の楽しみを見つけ、生きがいを見つけ、強く生きていくことを心から願っています。
改めまして、保護者の皆様、お子様のご卒業誠におめでとうございます。今日までのお子様との生活の中には、私どもには計り知ることのできないご苦労があったことと拝察いたします。この三年間、毎日お子様を送り出してくださり、本当にありがとうございました。保護者の皆様の後押しによって今、お子様はこのように大きく立派に成長することができました。
学校として至らない点も多々あったことと存じますが、今日まで本校の教育活動にご理解とご支援を賜り、心から感謝申し上げます。私たち教職員も微力ながら、これまで精一杯、お子様の成長を見つめ、一人一人の力を伸ばし、高め、ときに寄り添い、支えるお手伝いができたこと、大変光栄に存じております。職員一同、この経験を糧に、今後とも本校の教育活動に邁進してまいります。
むすびに、本日はご多用の中、ご臨席を賜りましたご来賓並びに保護者の皆様に心より感謝申し上げますとともに、卒業生全員の限りない成長と健康をお祈りし、式辞とさせていただきます。
令和八年三月十日
埼玉県立大宮光陵高等学校長 矼 秀年
令和7年度 第3学期始業式 校長の話し
※この講話はスライドを使って話しています。スライドは非公開です。
皆さん、あけましておめでとうございます。令和8年(2026年)の新しい年となり、そして第3学期が始まりました。冬休み中、大きな事故の報告もなく、と、いきたかったんですけど、一件、交通事故があったと報告を受けています。事故にはくれぐれも気を付けてください。とはいえ、こうして皆さんの元気な顔を見ることができ、大変嬉しく思います。
さて、第3学期は、一年間の締めくくりであると同時に、次へのステップへの準備期間、いわば「ゼロ学期」とも呼ばれます。特に3年生の皆さんは、進路決定という大きな節目に向け、緊張感が高まっている時期でしょう。ときにくじけそうになったり、何かをあきらめようとしたり、悩んだりと、それによって体調を崩してしまう人もいます。また、新しい環境で、人間関係が上手くいかなくて、辛くなってしまって体調を崩す人もいたりします。そんなに思い悩むことなんかないのにです。
そこで今日は、20世紀の精神分析学者で心理学者アルフレッド・アドラーの言葉を、皆さんに贈りたいと思います。
私は生活や仕事でなにか行き詰ったときなど、アドラーの著作をたまに読み返してみて、ポジティブな思考を取り戻します。というのも、実はね、ここだけの話、って、言っても、1000人ばかりが聞いてますが、正直に言うと、私はとても気が小さくて、何かとくよくよして、悲観的で、周りに左右されがちな人間なんです。基本的に自分はそうだと思っています。それがアドラーの心理学に出会ってから、大きく変わりました。
考え方を変えることで、行動が変わり、やがて生活が変わり、習慣が変わって、いつの間にか見渡す風景がいい景色に見えてきて、ポジティブな自分になっていた感じです。それからなんかしらんけど、ラッキーに恵まれるようになりました。本当にアドラーさんには救われました。1、2年生もよく聞いてください。アドラーはこう言いました。まずはこの言葉、
「人生が困難なのではない。あなたが人生を困難にしているのだ。
人生は、きわめてシンプルである。」
私たちはつい、「環境が悪いから」「才能がないから」「過去に失敗したから」などと自分で理由をほじくり出し、物事を複雑に考えて立ち止まってしまいがちです。何かを始めるときや何かに直面した時、くよくよ考えずに、まずは勇気を持って自ら動き始めることが大事だと思います。
ちなみにこれは、アドラーの言葉ではなくて、以前の職場で出会ったある先輩の名言ですが、大いに役立った言葉もありました。やりたくないことがあって、私が直面する大きな課題から逃げた態度をしていた時、一言、その先輩から「やれば終わりますから~。」と、声がけしてくれました。とても救われました。「そりゃそだなぁ~」と、思って、笑いながら大きな課題に向き合って乗り越えたことがあります。
話を下に戻します。
また、アドラーは「未来は、今ここにいるあなたがつくる。」とはっきり断言しています。
大学受験の合否も、どっかの誰かが操作しているわけでなく、自分の選択と努力の結果なわけです。自分の行動によって自分の未来が変わっていくのは当然ですよね。「そりゃそうだ。」と思います。
だから、過去や他人の評価に縛られる必要はありません。特に本校で芸術の勉強に取り組む皆さんにせよ、勉強に励む皆さんにせよ、時に「周りからどう見られているか」「批判されたらどうしよう」と不安になることもあるかもしれません。そんな時は、この言葉を思い出してください。
「陰口を言われても嫌われても、あなたが気にすることはない。
相手があなたをどう感じるかは、相手の課題なのだから」
あなたの価値は、誰かの評価で決まるものではありません。自分の信じる表現、自分の信じる道に集中してください。この言葉が一番私を勇気付けてくれます。
私への周囲からの評価は、周囲の人の仕事であって、私の仕事じゃない。誰かに任せておけばいい。自分は自分の仕事をすりゃいいじゃん。と、思うわけです。私が周囲の人と一緒になって、「あいつ変じゃね。」とか、「矼の判断はおかしい。」とか、自分のことを評価する必要なんてないってことです。自分は自分のすべきことを自分で選んでやればいいだけのこと。
それから、三学期は短い期間です。しかも高校入試があって臨時休業もあったりして、実際の出席日数は、1、2学期に比較してとても少ないです。そして、次のステージへの準備期間でもあります。 「もう時間がないから変われない」と諦めるのではなく、
「『変われない』のではなく、
『変わらない』という決断を自分でしているだけだ」
という言葉を胸に、一歩踏み出す勇気を持ってほしいと思います。「変わろう、こんな自分を変えよう」と思った瞬間から、実行に移せばいいだけのことです。それをしないのは、「変わらない」という選択をしただけのこと。勇気というか、勢いが必要かもしれませんね。
最後に、皆さんがこの三学期を、自分一人のためだけでなく、誰かのためにその力を使える人であってほしいと願っています。
「苦しみから抜け出す方法はたった一つ。他の人を喜ばせることだ。
自分に何かできるかを考え、それを実行すればよい」
クラスメートへの励まし(はげまし)であったり、部活動でのサポート、あるいは素晴らしい作品や演奏で誰かの心を動かすこと。そうしいた「貢献」の積み重ねが、結果としてあなた自身の自信と幸福へと繋がります。
三年生には特に伝えておきたいことに、以前にも言いましたが、大学入試は団体戦です。この言葉を踏まえて、既に進路の決まっている三年生は行動してください。全員の進路が決まって、試合終了です。
今日は、アドラーの言葉を紹介しました。皆さんが、この三学期を「シンプルに」そして「勇気を持って」駆け抜けてくれると期待して、私の話を終わります。
令和7年度 芸術鑑賞会 開会挨拶
皆さんおはようございます。今日は芸術鑑賞会ということで、ここさいたま市文化センターに集まりました。昨年の芸術鑑賞会を憶えている2、3年生はいますか? 昨年は演劇を鑑賞しました。道案内のAIロボットの女の子の話でした。
今回は、音楽の鑑賞です。しかも、本校の音楽科を中心とした生徒が演奏や合唱をしてくれます。芸術鑑賞会で、演奏する側も生徒で、鑑賞する側も生徒という、創立40周年を記念するにはこんな素晴らしい機会は他にないと思います。生徒同士で高いレベルの芸術鑑賞会ができてしまう学校、そんなの他にはないと思います。なんか勝手に誇らしく感じています。
本校の音楽科の生徒は、もう皆さん知ってのとおり、プロ級です。うちの音楽科は、埼玉県初の音楽の専門学科で、他にはない高いレベルです。それは、これまでの全国を舞台とした演奏会やコンクールでの成果や、進学実績、国内外で活躍する卒業生たちの姿からも明らかです。そんな皆(みんな)の仲間の演奏が生で聴けるわけです。
今回演奏してくれるのは、音楽科の生徒が中心ですが、音楽科の生徒だけでなくて、普通科などの他学科の生徒も参加しています。これらの生徒たちの日々の努力の成果にも期待したいところです。
それから、大事なことを一つ言っておきます。音楽にしても美術にしても書にしても、演奏や描かれた作品など、表現する力が注目されがちですが、しかし、むしろその良さに感動する聞く側、見る側の力が大切です。感動する力、これを鑑賞の能力と言います。芸術は、作品を表現する側だけでは成り立ちません。作品を鑑賞する多くの人々が当然必要で、その鑑賞する側の人たちが持つ、良いものを良いものとして感動できる感性が大事なんです。鑑賞者としての感度の高いアンテナを持っていて、作品の良さや素晴らしさ、そうした魅力に純粋に感動する心、精神、態度が、鑑賞者の能力として現れます。見たり聞いたりする側の人の能力が高くなければ、芸術家は育ちません。この相互作用によって、私たちの文化は高く拓かれるんです。
今回、演奏してくれる皆(みんな)は、難易度の高い曲に挑戦して、曲の数も多くしたと聞きました。演奏する皆さんの意気込みが感じられると思います。また、今日のために、日々、一人一人が自分の時間を工夫して練習に臨んだそうです。心のこもった素晴らしい演奏を楽しみたいと思います。
皆さん、是非、音楽のよさを味わってください。きっと「大宮光陵の生徒でよかった~」と感じられると、思います。以上です。
令和7年度 体育祭 開会式 挨拶
皆さん、おはようございます! 台風22号の影響が心配されていましたが、涼しい体育祭日和となりました。記念すべき創立40周年の体育祭にふさわしい最高の舞台が用意されました。これまでの40年間、1万3千人以上の卒業したOG・OBの皆さんも、この青空の下で青春の汗を流していたわけです。皆さんは、そんな歴史と伝統を、更新する記念すべきときを迎えました。ぜひこの40周年という伝説に残る体育祭を創り上げてください!
さて、皆さん、少し緊張してはいませんか? 今は、そのいい緊張感を味わってください。私はドキドキわくわくする緊張感がけっこう好物です。それを乗り越えると、なんか新しい自分になった気がしたりします。今日一日は、その緊張感を保ちつつ、競技に真剣に取り組んで、自分の肉体の限界のさらにちょっと先まで、力を出し切ってみてください。今の自分を越えてみましょう。超えた分だけ成長があるはずです。とはいえ、張り切り過ぎて、くれぐれも怪我の無いようお願いします。特に普段あまり動かない人は、準備運動を入念にやっておいてください。
今日の日のために、体育委員が中心に陸上部、サッカー部、放送部の生徒の皆さん、そして先生方が、準備を頑張ってくれました。彼らの準備なくして、この祭典は成り立ちません。心からの「ありがとう」を、拍手を送りましょう! ハイ拍手―!
また、早朝からご来校いただきました保護者の皆様、誠にありがとうございます。ご案内が直前となってしまったにも関わらず、ご参観くださり、お詫び申しあげますとともに厚くお礼申し上げます。皆様の熱い応援が、選手たちの「最後のもう一歩」を引き出してくれることと思います。どうぞ遠慮なく盛り上がってください!
それから、生徒の皆さんにもう一つ、「暑さ対策」に係るお願いがあります。熱中症は、熱中しすぎるとやってきます。冷静に自分の健康状況を把握し、休憩と水分補給はサボらずに行ってください。体調に不安を感じたら、すぐに先生や周りの人に「ギブアップ!」のサインを出す勇気を持ちましょう。そして、周りの仲間を見て、「あれ、ちょっと動きがおかしいな?」と思ったら、すぐに声を掛けて助けてあげてください。
最高の体育祭は、みんなが無事に笑って終われることです。
では、今日は自分の持てる力を精一杯発揮し、これまでの練習の成果を見せてください。みんなにとって最高の体育祭となることを期待しています。創立40周年の歴史に新たな伝説を刻みましょう。今日一日の皆さん自身の光る力を精一杯発揮してくれるものと期待して開会のあいさつといたします。
令和7年度スピーチコンテスト 校長挨拶
Good morning, everyone.
The day of the speech contest has arrived.
Before we begin, I’d like to say a few words.
First of all,
I would like to thank all the participants for your hard work and dedication in preparing for today.
I also extend my sincere gratitude to the teachers, and staff who have supported this event.
This contest is not only a competition,
but also a celebration of your effort, creativity,
and courage to express yourselves in a foreign language.
Speaking in English is not easy, but by doing so,
you are able to open a door to new perspectives, cultures,
and friendships.
Regardless of the result, I hope each of you will gain confidence and valuable experience from this contest.
Please enjoy this opportunity to share your thoughts and
ideas with others.
I'd like to present one of Steve Jobs's quotes to you.
Without challenges, there is no growth.
and I wish all of you the very best of luck.
Thank you.
令和7年度 光陵祭 開会式校長挨拶
みなさんおはようございます。いよいよ、創立40周年を記念する光陵祭当日となりました。準備は万端ですか? 今年のテーマは、「光華 ~40年の想い、未来へ咲き誇れ~」です。このテーマには、やっと日常を取り戻した今だからこそ、未来に向かって進むことができる。華のように美しく輝き、一人一人が主人公である光陵生たちで最高の文化祭を創ろうという。そういう思いが込められている。と、ありました。
もう随分と過去のことのように感じますが、新型コロナウイルスが蔓延していたころは、様々な学校行事に制限が課せられて、やりたかったことがなかなかできなかった期間がありました。文化祭もここ数年でようやく復旧して、去年は4000人を超える来場者を数え、多くの方々が光陵祭を見に来てくれました。地域の方々から、本校の文化祭を楽しみにしているというお話をよく耳にして、嬉しく感じます。確かに、光陵高校のようなユニークな学校は全国を見渡しても他にありません。芸術文化発信の先端校としての魅力は、本校の自負するところといえましょう。高校生が成しえる最高の展示と演奏、発表やアトラクションなど、見ごたえ聞きごたえのある大きな感動を与えてくれると期待しています。 一人一人が光陵生としての矜持を持ちながら、この二日間は大いに楽しんでください。今しか経験できない何かが光陵祭にはあると思います。 去年も言いましたが、楽しむためには、ぼうっとはしていられません。情熱と能動的な態度と、いくばくかの努力が必要となります。今しかない何かがあるはずだから、それを大切にしてください。
それから、光陵祭は、皆(みんな)で力を合わせてつくり上げるお祭りです。 生徒会本部役員、実行委員、クラスや部活、有志の代表の皆さんが先頭に立って頑張って、皆(みんな)を引っ張ってきてくれました。最後まで皆(みんな)で協力して、40周年を記念する一大イベントを、一生の思い出に残る素晴らしい光陵祭にしてください。 私からは以上です。